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台風23号(2004) 北陸観光バス水没事件 結末と実際の動画がやばい!アンビリバボー(10月22日放送)で紹介!

10月22日放送の
「奇跡体験!アンビリバボー」19:57~
は、2004年に大きな被害をもたらした
台風23号が猛威を振るうなか、孤立して
しまったバスの乗客37人の運命を描いた
物語を取り上げます。

高齢者が多く参加していたほのぼのバスツアー。
帰りの道中、大型の台風23号が接近、
紀伊半島に上陸、京都府舞鶴市の由良川が大氾濫。
暴風雨が吹き荒れどんどん水が溜まる道路。
立ち往生し、ものすごい勢いで浸水、水没するバス。
救助も来ない、携帯の電池もない・・・
最悪の状況・・・死の淵をさまよう乗員乗客。

はたして37人の運命はーーー?!

実際の映像がNHKに残っており、
閲覧したのですが、とてもひどい
被害状況で驚きました。

11年前に起きた奇跡体験の
全貌と実際の映像を公開!



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北陸観光バス水没事件全貌【前半】


2004年10月20日(水)、兵庫県市町村
職員年金者連盟豊岡支部の一行は、
北陸観光のバスツアーに参加。

ツアー参加者の平均年齢は67才で、
高齢者が35人、運転手と添乗員
合わせて37人が乗っていました。
そしてこの日は、日本列島に大型の
台風23号が近づいていました。

夕方5時過ぎに一行は観光ツアー
スケジュールをすべて終えて、
福井県の芦原温泉から兵庫県へ
帰るところでした。

しかしこの時、台風23号が紀伊半島に
上陸して暴風圏内に入り、天候は悪化、
激しい暴風雨が吹き荒れ、道路には
雨水がどんどん溜まっていきました。

京都府舞鶴市志高では由良川が
氾濫し、由良川沿いの国道175号は水没。
普段の由良川は川幅が約150mなのですが、
この日はなんと川幅が3倍にまで膨らみました。

夜8時過ぎ、そんな天候状態の中を観光バスは
走っていて、前方を走っていた車が冠水。
水は瞬く間に目の前を覆い、前後の車に挟まれ
観光バスは立ち往生、付近のトラックなども
合わせて40台が身動きが取れなくなってしまいました。

後続のトラック運転手は
「道路が冠水を始めてからわずか
15分ほどで胸まで水位が上昇した」
と話しています。

乗客はひとまず車内で待機。
しかし水位はどんどん高くなる。
逃げ場を失った一行は、ついに
屋根に避難することを決意!
車内にあったハンマーで窓ガラスを
割り、2時間かけて順番に全員屋根の
上に避難することに成功。

しかし風雨により体感気温は真冬並み
となり、雨に打たれ続けた高齢者たちは
低体温症の危険性がありました。

乗客の押葉玉枝さん(68)は震える手で
携帯電話にすがりました。

「早く助けにきてほしい」

おびえたような声と周りの人の恐怖も
伝わり、自宅で電話を受けた夫の
智さん(65)は胸を締め付けられます。

周りは知らない人ばかりでしたが、
乗客たちは不安を和らげるため、
互いに自己紹介をはじめました。

みんな無事に生き返ろう!と声を掛け合い、
点呼を取り始めます。ただ、それだけの
ことでしたが、見知らぬ者同士が、ともに
生きようと励まし合う仲間になった瞬間でした。

しかしバスはやがて完全に水没。21日午前2時ごろ、
屋根に立った状態でもへそあたりまで濁流が
達し、車内のカーテンをつなぎ、ロープにして、
流されないようしっかりと握りました。
使える携帯電話が二、三台あり、乗客は救助を
求め続けました。しかし一台を残し、電池が
尽きてしまい、最悪の状況に・・・

後半に続きます。



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北陸観光バス水没事件全貌【後半】


待っても待っても救助はこない、
携帯の電池もない・・・最悪な
状況のなか、看護師経験のある
乗客が声をあげます。

体温を下げないよう

「『結んで開いて』をしましょう」

ごうごうと流れる濁流の横で、
みんな必死でした。何人かは
肩を組んで「わっしょい、わっしょい」
と声を出し、全員で「上を向いて歩こう」
を歌い、恐怖と闘いました。

体半ばまで水につかりながら、体を寄せ合い、
9時間もの間恐怖と不安に耐え続けました。
そしてついに朝を迎えます。 乗客は誰1人、
風雨に負けませんでした。

夜が明けた午前6時すぎ、救助ヘリがバスの
屋根で白い布を振る乗員乗客37人全員を発見します。

重くたれ込めた雲間から、ヘリの姿が見える。
「あのヘリや」。歓声があがる。言葉もなく、
衰弱したお年寄りもいました。

海上自衛隊や海上保安庁のヘリは、
ロープをバスの上に降ろし、衰弱の激しい人
から順に1人ずつ抱えて機内に収容。舞鶴市の
ヘリポートまで往復し、市内の病院へ搬送しました。

舞鶴赤十字病院には由良川周辺から
ヘリや京都府警のゴムボートなどで
救出された38人が、ぐったりした様子で、
午前7時ごろから次々と運び込まれました。

全般に低体温の症状がみられ、湯たんぽで
暖を取ったり、点滴を受けたりしました。

台風23号の実際の被害映像がこちら↓
http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030322_00000

台風23号は京都だけでなく、
全国に多くの被害をもたらしました。
平成の台風被害では最多であり、
全国で98人の死者・行方不明者が出ています。

奇跡の生還を果たしたバス乗客たちでしたが、
バス乗客の家族も知らせを聞きほっとしました。

最高齢の乗客水島恒夫さん(87)の妻正恵さん(84)は
乗り合わせた人に感謝しています。

「停電で情報が入らず、帰宅途中で水に
のまれたと思って、電話の前で一晩中
祈り続けた。バスの上に9時間以上も
耐えていたとは…。他の乗客の助けが
なければ、主人は生きていなかったでしょう」

田中五兵衛さん(79)の妻愛子さん(77)は

「昨晩は仮眠をとる際も、帰ってくると
信じて『お疲れさま』との書き置きを
机の上に残した。帰宅したら、自分の口で
しっかりと言葉をかけたい」

と無事を喜びました。

バス救出ドキュメント時系列↓
20日
15:45 舞鶴市が災害対策本部を設置。
21:04 舞鶴市消防本部に通報。
    「バスに水が入り、肩までつかっている」
    「一帯でトラックが立ち往生している」
21:25 市が海上自衛隊舞鶴地方総監部に救助要請。
23:30 海自隊のトラックが現場近くに到着。
    ゴムボートで救出に向かうが、川の流れが速く断念。

21日
0:30 「バスの乗客37人は全員屋根の上に避難、
    ひざ上まで水が達している」(バス乗客からの携帯電話)
0:40  海自隊員が屋根の上の乗客を確認。
1:10 「水が腰のあたりまできている」(乗客からの携帯電話)
1:40  乗客の携帯電話が不通になっていく。
6:10頃 第八管区海上保安本部、海自隊のヘリが現場に到達。
      日の出とともに救出に着手。
8:48 バス乗客乗員37人の救出完了。
    トラックや民家からも28人を救助(舞鶴市災害対策本部)
10:00 バス乗客23人を含む32人を4病院へ搬送。

バス乗客の救助活動に合わせたように
風雨は午前8時ごろにやみ、台風23号は
過ぎ去りました。

金八先生ではないけれど、
支え合って助け合って
生きていくこと、とても
大切だと思いました。
だって人間だもの←ぇ

もしなにかで被災した場合、
自分もこんなふうに手を
差し出せ合えたらと思いました。

それではここまで読んでくださいまして
ありがとうございました!

失礼いたします<(_ _)>



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